| 四 彼女が目をあけると、そこはいつもの自分が寝ている部屋だった。なんの変わりばえもしないいつもの朝。頭の中に残る黄金色の風景以外は。とりあえず何か食べながらどこをどう帰って来たのかを考えようと思い、立ちあがると電話がなった。 「ハロー？」 「……シリアか」 「カルス？どうしたのさ」 「………いいからテレビ、つけてみろ」 かろうじて聞き取れるほどの異様に低い声が気になった。が、言われたとおりにつける。 「つけたよ。一体何が…」 初めは何を言っているのかがよくわからなかった。しかし、何か大変な事件が起きた事を伝えている。 『…繰り返しお伝えします。昨夜、ムーヴァー市ファーロン地区において大量殺人事件が発生いたしました…』 「こ、これって…！」 『これにより同地区は壊滅状態になっており、動いているのは公安員と動物のみというすさまじい状態です。現在、同地区は公安員以外は立ち入り禁止。被害者は全員鋭利な凶器で殺害されており公安では…』 一瞬のうちにシリアの頭は真っ白になった。電話を切る事も忘れ、他人事のように映像を映し出す画面に見入った。 『…現在身元が判別している被害者は、ルシナム＝リージュ、イザべラ＝リージュ…』 彼女は恐れていた。しかしその時は必ず来るとも確信していた。 『…ハバード＝マッカード、ミュリル＝マッカード、ポリー＝マッカード…』 そしてその時はやってきた。感情が爆発する。彼女の瞳は何も映さず、彼女に耳は何も音を入れない。体中の力と神経を使って、たった今聞いた事と、その意味そして自分がどんな状態に置かれたのかを理解しないように努めていたのだから。 「こんなこというのも月並みなんだけど…元気だしてよシリア。あなたらしくないわ」 「うんわかってる。ありがとね。そしてごめんね、リテ」 「謝らなくっていいのよ」 シリアを元気づけにやってきたリテは、床の上に無造作に置かれているクッションに座りながら声を掛けつづける。 「……ね、リテ」 「ん？」 「悲しい時に泣けないのって、つらいね」 「……」 「何が起きたのかわかんなくて…ううん。ちゃんとわかってるんだけど認めたくなくって…認めたら私、どうにかなってしまいそうで………あんまりにも事が大きすぎて、もう、私にはわかんないよ。………ああ、私、何言ってるんだろう…怖いよ、これからどう…なるのかな」 「もういいから何も言わないで。私がここにいてあげるから、何も怖くないよ」 「そうだよ、俺たちだっているじゃないか」 「少しは気もまぎれるだろ…？」 カルサートもトミーも彼女の周りに座り込む。しかしシリアは反応しない。まあ無理もないと、彼らは思う。彼女はこの世界で肉親と呼べる人々を一気に亡くしてしまったのだから。リテはシリアを見つめた。カルサートとトミーも見つめている。楽園の海を映したシリアの瞳はその輝きを失い、澄んだ蒼色をしていたのに、蒼さを通り越して白くなっている。 「しっかし……どんな人間なんだ！？こんなことするのは…」 「普通の人間の神経じゃないな…」 「ちょっとあんたたち、あんたたちも普通の神経じゃないわよ！」 「あ…」 「ごめんシリア」 「……別にかまわないよ。変に気を使ってこの話題に触れない方がおかしいから…」 気を使っているのはお前の方だろう、その場のシリア以外の全員が思ったがそれは言わない。それがシリアという人間だったから。 「…そ、それでさ…凶器なんだけど…」 「ああ、あれか。鋭利な刃物かぁ。そうそう、聞いた事あるか？誰か言ってたけど、鎌らしいぞ」 「聞いたことある。あの変な解説者だったろ？猟奇的事件が起こると、いつも出てくる奴」 「そんな時しか出てきてないよね。あいつ」 それまで黙っていたシリアが反応した。 「………鎌？」 「だっていう話。本当かどうかわからないけど。本当だったら、目立ってしょうがないだろうのに」 「まさか！」 「なんだよいきなり」 「どうしたっていうんだ？」 「月の、魔物よっ！」 「えっ？あなたそれは信じてなかったじゃない」 「気は変わるのよ！」 それからいろいろと事後処理が終わって、彼女が研究に戻れたのは実に二週間後の事だった。カルサートは彼女が戻ってくるのをなんとなく待っていた。そのせいか、彼の研究はちっとも進んでいない。シリアは彼女の机に向かうと今までの遅れを取り戻すかのように研究に打ち込んだ。まるでそうすることで何もかもが忘れてしまえるかのように。時折、深いため息をついてひどく哀しい表情をするようになったが、人がそれを知る事になるのはもっとずっと後のことである。 こうなると拍子抜けしたのは周りの人々だった。誰が話しかけても上の空。特にカルサートは気が抜けたようになってしまった。いくら彼女の本を持ち出しても、隣で爆発音を立てても彼女はなんの反応もしない。ある日の夕方、彼は彼女のそんな様子に耐えられなくなりわざと怒ったように言った。 「いいかげんに人を無視するのはやめろ！お前、一体全体どうしたんだ？ファーロンの件が原因だっていうのはわかるが、いつまでもそんなこと言ってたってしょうがないだろ？他の人たちは曲がりなりにもがんばってるんだ…お前はもっと強かったんじゃないのか？」 シリアは黙って彼の言葉を聞いている。 「家族を亡くしたのはお前だけじゃないんだぞ！みんながんばってるんだぞ！ほら、何とか言えよ」 その重い口をようやく開いた。 「……そうだよ。私だけじゃない。そんな事は百も承知…」 「だったらなんで無視するんだ！？」 「別に無視していたわけじゃないの。ただね、今これをやめてしまうと私という存在がわからなくなるから。それだけのこと」 「…どういうことだ？」 「つまり、あの日以来私を人格を持った一人の人間としてみてくれていた存在が無くなった。世間の人は、私の事を、『考古学者シリア＝マッカード』としてしか見ていない。そこには私の人格など関係ない。考古学をやる事でのみ、私は社会で生きていかなくてはならない、ということなの。だからこれをやらないと、私の存在はこの世界から消えてしまう」 「考え過ぎだよ、そんな事。ずっと閉じこもってるから、余計な事しか考えないんだ」 「そうだろうね。でも、誰が一人になることを望むだろう。誰が、社会から消え去る事を望むだろう………」 言って笑うシリアの顔には痛々しさがあった。 「シリア…」 「私、まだやる事があるから、先に帰りなよ」 返事も待たずに再び机に向かう。カルサートはもう何を言えばいいのかわからなくなってしまった。仕方なく帰ることにした。 扉のしまる音を聞いて彼女は本から目を上げる。 「あんたには一生わかんないだろうね…私が本当にやりたかった事で次々と成功していったんだから。結局私に残ったのは考古学だけ。あんたが博士号を取ったときから、私は少しずつ狂っていったようなもの………」 実際カルサートが博士号を取ったと聞いた時、一番喜んだのはシリアだったが、同時に一番嫉んだのもシリアであった。同じ道に進み、その実力差を知った時、彼女は泣いた。はじめて自分の敗北を認め心の底から泣いたのだった。 太陽が投げ掛けてきていた光が消え、夜の帳が下りてきだす。シリアはため息を大きく一つついて、手元の電気をつけ本に目を落とした。 |