| 五 「ちょっと家に帰ってくるっ！」 唐突に立ち上がり、シリアは部屋から出て行こうとした。 「はへ？」 間の抜けた返事をし、思わず手に持っていた怪しげな薬をこぼしてしまったのは言わずと知れたカルサート。とたんに燃え出した紙を必死で取り除こうとしている姿を見て見ぬ振りし、シリアはなぜかこぶしに力を入れて力説する。 「そう、そうよ！私にデスクワークなんて似合わないのよ！思いこみと暴走をモットーとしている私はとにかく動くのが一番！」 「それは違うのでは…」 消火しつつも律儀にツッコミを入れるカルサートだったが、どこからともなくヤカンが飛んできたのでとりあえず沈黙した。 「なんでもかんでも自分の目で見るのが一番！自分で歩いて、自分で見て、自分で調査する！これなくして考古学はありえない！………というわけで行って来ます」 そう言い残して彼女は戸を閉めようとした。が、できない。カルサートが戸に足を挟みこんでいたからだ。そして彼はおもちゃを見つけた子供のように笑いながらこういうのだ。 「俺も、行く」 「は…？」 今度は彼女が間の抜けた応答をする事になったのは言うまでもない。 「……いや別についてこなくてもいいんだけど…………」 「うーん。俺もまあヒマ人だし」 「……お前の仕事はどうした？」 「ここんところ失敗続きでスランプにおちいってるから、いい気分転換になるかなあ、と」 「私の仕事はあんたの暇つぶしかぁぁ！」 「うわっ、おいシリアっ、頼むから前見てくれ前！」 シリアの車は、この間修理から返ってきたばかりなのだが（幾度目かの爆発騒ぎに巻き込まれて修理に出す羽目になっていた）、彼女の実家、つまりファーロン地区へ向かっていた。あの事件以来閉鎖されたままの同地区は国の東端にある。彼女はすでに公安と連絡を取り合って中に入らせてもらう手はずであった。 「しっかし…なんでまた行く気になったんだ？あんなに嫌がってたじゃないか？」 「うーん、女の勘を確かめに行くって所かな」 「……？」 シリアは、カルサートが今一つ理解してないのだと思った。 「つまりね、月の魔物が出て、確かにほとんどその地域は全滅するんだけど、必ずといっていいほど一人ないし二人は生き残ってるの。たまたまその夜に出掛けていたとかね。で、その生き残った人の家…この場合はホームじゃなくてハウス、つまり建築物のほうは無キズ。期せずして私が生き残った人になっちゃったから、本当かどうかを確かめるのと…どうにも今回のこの件には月の魔物と呼ばれる何かがかかわっているような気がする。たとえそれが名を騙っているだけであったとしても、ね。それも確かめに」 「いやそうじゃなくて…」 「…何？」 「『女』っていうのは間違いでは…？」 彼女は前を見たまま、無言で彼の頭をはり倒した。 「シリア＝マッカードさんですね。本部からは連絡を受けています。どうぞお通りください。で…こちらの方は…？」 公安官はカルサートのほうを視線を向けている。 「ああこれ？気にしなくていいです。百害は無いけど一理もない、要は人畜無害なんだけど、ちょっと爆発させるのが好きな変態よ。一応私の友人のはずだからおとなしくしてると思う。なんかやらかしたら後ろから撃ち殺してくれたらいいわ」 多少どころか大いに釈然としないものがあったが、車の中の二の舞はいやだったので黙って会釈をし、シリアについて地区内へ入って行った。公安官は困ったような胡散臭そうな、微妙な表情をしていたが、あえて何もいいはしなかった。 「変わってないなあ」 「そう言えばあんたはティアーンに引っ越したのよね」 「ああ…」 他愛のないことをしゃべりながら、二人は街であった所の通りを歩いて行く。風の音以外何も聞こえない。当たり前の事だが、完全なるゴーストタウンである。先ほどまで彼女たちは国の中心地シティにいて、このように音が途切れるなんて事はない場所であった分、次元を超えて別の世界に来たような感じである。死の世界と生の世界。それを分けるのは先ほどの門で、公安官はその番人なのであろうかと、シリアはぼんやりと思った。道自身にはたいした汚れはない。公安がきれいに掃除をしたのであろう。まあ完全にとはいかないので、彼女たちは端のほうは見ないようにしている。しかし、どの家の壊れていないところはなかった。多くの家は窓や扉が壊れている。唯一の例外、シリアの家を除いて。 「やっぱり…」 鍵は壊されているが、これは公安が中に入るためだったのだろう。他のところは壊れていない。彼女はノブに手をかけ戸を開け放つ。 そこは台所だった。 「…………………」 「……………なんだ……………これは…………？」 しばらく二人して立ちすくんでいたが、 「あっ、そうだった！」 シリアはやおら手をたたく。 「ここをこうして…オッケーっ」 何かの機械が作動する音がして周りの様子が変化し、ようやく普通の玄関らしくなる。 「い、いまのはなんだ？」 目を丸くしてカルサートは尋ねた。今まで彼が見た中で、一番精巧な映像投影機であったのだ。ため息混じりにシリアは答える。 「父さんがね、いつもおんなじ玄関だったら味気ないからって、ホログラフを投影する機械をつけたの…一回トイレの映像にしてあった時に来客があって非常にあせって以来使うのはほどほどにしようね、ってことだったんだけど…きっと公安の人も驚いたろうなー…」 「だけど、こんなに精巧な機械、どこから手に入れたんだ？教えてくれたら、俺、ほんとなんでもする」 「あんたになんでもしてもらっても困るんだけど…作ったのよ」 「うそだろ？こんなレベルのもんがおいそれと作れるもんか！」 「だって作ったんだもの。父さんと母さんの共同製作。…あれ？前にいわなかったっけ？うちの親って、どっかの研究所に勤めてて、そこで新技術開発なんかやってたのさ」 「……それなら納得できるな…しかし、この子にしてこの親有り…」 「なんか言った？」 「…いや…なんだそのヤカンは！」 あせりながらヤカンを奪い取ると後ろの棚に置く。と、そこにはちっちゃなヤカンが置かれていた。 「……」 「とにかく！中に入ろう」 「な、一つ聞いていいか？」 「なーに？」 「その時のお客さん、それから来たか？」 「…私が知る限り、二度と来なかったわ…」 ある一部屋だけを除いて変わっていなかった。いろいろな思い出の詰まるこの家の中を歩いていると、シリアは感慨深くなってきたのだが、それでも涙は出ない。彼女の中で、何かが栓をしているような気がした。 「どうやらここ…みたいね…」 居間の扉の前に彼女は立っている。ノブに手が振れては離れ、離れては触れる。どうしても開ける勇気が持てない。シリアが葛藤と戦っていると無神経な声がした。 「何やってるんだ、こんなところで突っ立って…」 カルサートは思いきりよく扉を開いた。と、そこで見たものは、死体は無かったものの、おびただしい量の血痕であった。カルサートの体はそのまま硬直する。 「……そりゃあ三人が三人とも首、落とされたんだから、血もいっぱい出るわな…」 他人事のようにつぶやくシリアの声を最後に、彼の意識は暗転した。 |