四
　朝一番にリテの耳に飛び込んできたニュースは、あきれ返るものだった。いや、大変な事ではあるのだが、あまりにも唐突過ぎてあきれるしかないのだった。シリアがゴーシュの遺跡に出かけてから四日後の事である。
「へっ、物研が爆発した？」
　次のデートをどうするかフロストのところへ出かけて行ったリテは、先にトミーに出会ったのだ。
「ヴィンダース先輩は物研に友達が多いから様子見に行ってるよ。俺も仕事が一段落したからこれから行ってみるんだ」
「私も行っていいかなぁ？」
「いいと思うよ。どうせ今はめちゃくちゃになってるだろうから誰が誰なんて聞かないだろうし、野次馬も多いだろうし」
　応用物理研究所は、考古学研究室や地質学研究室などの国家直轄の機関と同じに分類されるので、それらの建物と同じ敷地内にあった。とはいえ、その研究内容ゆえに化学棟と並んで厄介なので、ほかの建物とはかなりの距離を取って作られており通行する人間の取り締まりも厳しかった。なぜなら、ここはほかと違って軍とのつながりも深くスパイの恐れがあったのもさることながら、危険な劇薬もたくさん置かれてあったから。
　しかしそれは普段の事である。
「あちゃあ…」
「なんかもうこれ以上ないってくらい吹き飛んでる…」
　そこは昨晩まで確かに研究所があったはずのところだった。しかし現在は大きな更地になっている。壊れた建材が少しずつ運び出されていた。
「あ、先輩」
　トミーが声をあげ駆け出す。リテも後に続いた。
「おっ、トミーに……クロットフィーナさん」
「リテ、でいいですよ」
「ところでどうだったんですか。お友達は大丈夫だったんですか？」
「ああ、友達、昨日はここにいなかったそうだから…」
　そう切り出してフロストはしゃべり始めた。本来なら化学棟か、シェルター内にある実験室でやらなければいけない実験を、何を思ったのか簡易実験室で行ったものがいる。それでもうまく行けば何事も起こらなかったのだが、調合を間違えて爆発が起こったという。
「でもその人、無事だったんですかねえ」
「爆発の規模自体はとても小さなものだったんだ。でもそのとき起こった振動がたまたま簡易実験室から、研究所の大黒柱にかけての固有振動数にぴったり合っちまったらしい。不幸としか言いようがないよな」
「固有振動数？」
「クロットフィーナさんは化学屋じゃないからわかんないか。ものにはみんな固有振動数ってものがあるんだ。それぞれ微妙に違うから固有なんだ。共鳴って知ってるだろ？ほら、まったくおんなじのU字型の音さを二つ並べて、かたっぽで音を出すと両方鳴り出すってやつ。あれとおんなじ事が起こるんだ。音さなら音がなるぐらいで終わるけど、それが建物や橋となったらちょっと困る」
　トミーはそこまで言うと少し息をついた。
「おなじ振動数の振動が少しでも与えられると、必ず共鳴というか共振を起こす。そうなったら止められなくなるんだ。今回の場合大黒柱の方にも伝わっちゃたから…」
「ぜんぶこわれちゃったと。ちょっとした地震のようなものなのね」
　少しばかり違うのだが、彼女にそれを説明しても無駄なのでトミーはうなずいておいた。
「だからできるだけ固有振動数が重ならないように、絶対に起こらないという振動を探して作られるんだ。簡易実験室では、もしかしたらその計算が甘かったのかもしれない。だってここ、この敷地内でもかなり古い部類に入っていたと思うから」
　一応は納得したようにリテはうなずいた。
「シリアだったらこんな話も好きなんだけどね。で、誰なんですか、そんな非常識なことしたのは？」
「そうだよなあ…ここの人間だったら、簡易実験室ではできない実験だってわかってただろうのに」
「それがな」
　フロストの顔が曇る。
「国家機密扱いになって、誰かは発表されてないんだ。まったく上の人間のやる事はわからないな」
　三人は研究所の関係者や公安官、野次馬でごった返す中を歩いていた。フロストとであったのが研究所跡のすぐそばだったので、そこから抜け出すのにかなりの苦労を要する。文字通り人ごみをかきわけて進んでいると一人の人物が彼らに声をかけてきた。
「おーい、そこにいるのはヴィンダース先輩と、クロットフィーナさんと、トミーだろー？」
「カルサート君」
「カルス」
「フェイリアスか」
　ほぼ同時に三人が口を開いた。しかし反応が早かったのはトミーである。
「お前も様子見に来たのか？」
「ああ。俺は一応ここの所属だからな。物研が吹っ飛んだ、って聞いてあわててすっ飛んできたところ。そしたら本当になんにもないでやんの。思わず笑っちまったよ。しかしすっきりしたなあ」
　ひどく慌てていたのだろう、いつもは汚いなりにも曲がりなりにも束ねられている薄茶の長髪は、いかにも寝起きという様子を呈してバサバサであったし、皺だらけの服のボタンは掛け違っている。挙句の果てには履物がちぐはぐだった。三人ともそんな彼の様子を見て眉をひそめている。リテにいたっては、ほかの人に知りあいだと見られたくないというように、カルサートから離れようとしている。
「……しかしいくら慌てたからって、そいつはちょっとな…」
「気がつかなかったのか、それは」
　フロストとトミーに言われてはじめてカルサートは自分の姿に気がついたようだ。
「…げ…どおりで歩いているとじろじろと人が見ると思ったよ」
「でもせめて靴ぐらいは気がついてよね」
「人間慌ててたら何するかわかんないもんだって、クロットフィーナさん」
　リテの冷たい視線を受けながら言い訳地味たことを言う彼。と、その時になって初めてシリアがいないことに気づく。リテに聞くとここにはいないとのことだった。
「シリアは今シムーンにいるわよ。例の一件であちこちを飛びまわってるわ」
「ああ、あれか。金にもならんのに、あいつもよくやるよなあ」
　しみじみと感心していると、トミーが、
「でもシリアがいたら絶対お前の格好を見て馬鹿笑いするぞ」
「そうだろうな。あいつの笑い声はしゃれにならないぐらい激しいから、注目の的になりかねん」
　どうやら羞恥心は健在らしい。
「不幸中の幸いとでもいうかな」
「…あんた達はシリアをなんだと思っているのよ」
　リテは変な事を言い合っている同い年の男二人に冷たい視線をくれると、じっと研究所跡の方を見ているフロストの方に近寄って行った。
「あの…ヴィンダース先輩？今度のデート、いつにします？」
　この状況下でほほを赤らめながら聞いてくる彼女に、フロストは何かしら怖いものを感じたのだった。
　
　ジェイは月の魔物が実体化したものとでも呼べばいいのか。少年の姿をしているが、実体化する前は無性であった。で、シリアとの出会いを経て男としての性を持つようになったのだ。
「じゃああなたは男にも女にもなれたの？」
「うん。でも姉ちゃんは女だから、こっちにした。僕は実体化してからずっと姉ちゃんのところに来ようと思ってたからね」
「こっちにしたって…そんなに性別が簡単に決められるなんて、いきなりいわれても実感わかないなあ」
「僕は特別だよ。普通の人にはきっとわかんないだろうけどさ」
「まあいいや。ちょっと聞くけど、次の瞬間には女になってるなんてことはないよね？」
「うん、実体化=人間になる、ってことだからね。それはない。でもほんとはもっと大人になりたかったんだけど、うまく行かなかったみたいなんだ。残念だなあ」
　シリアはジェイが大人になった姿を想像した。きっと女心をくすぐるジゴロタイプになっていただろう。
「それで、あなた家族は？」
「孤児院にいたんだけど、脱走してきちゃった」
　渋面になるシリア。しかし彼女は、ジェイを自分の養子にしようとおもった。
　シリアのところにジェイが現れて三日。応用物理研究所が崩壊する一日前である。すでにゴーシュの遺跡に着き調査を開始していた。予言書に刻まれていた紋は確かにこの遺跡のものと同一だった。
「やっぱりおなじよねぇ。一体どんな関係があったんだろう。報告書を書いた人に聞いても何も教えてくれなかったもんなあ」
　横からのぞき込んでいるジェイがとんでもないことを言った。
「これ、僕が書いたよ」
　この言葉にシリアは我が耳を疑った。
「ちょっと、それ本当？」
　信じられないと思いながらも、もしかしたらありうるなあと思いながら聞く。
「うん。ずうっと昔にね。人間達がここで何か掘ってたんだ。面白そうだなあって思ってたら、二十年前に石版というかあれは月そのものなんだけど、それが掘り出されたから、僕もなんか彫ってみようと思ったんだ。あれだと僕も触れるから。あれ〜？まえにいわなかったっけ？」
「聞いてないわよ、そんな事…」
　ふと思い当たる事があったので、シリアは報告書を書いた人の写真を見せた。
「もしかしてこの人だった？」
「そうそう。僕の落書きでとても悩んでたから夢の中でいってあげたんだ。そしたらなんか気を落としたみたいだった」
　それは気も落とすわ、と思うシリア。誰も、月の魔物に『これは落書きだったよ』なんていわれて、興奮する人間もいないだろう。だから、報告書の作者は何も言わなかったのだ。落書きだなんて言っても、自分が馬鹿にされるだけなのだ。
「ところで、あの石版なら触れる、とは？」
「僕は月の魔物だったろ？あれは月そのものだから、僕自身みたいなものなんだ。僕みたいなものでも、自分自身には触れるんだよ」
「ちょっと待って！月そのもの？」
「正確には、月という人間の意識の集合体が、特定の人間の意志力によって具現化しているものなんだ。姉ちゃんが僕をこの世界に呼んだように、あの石版も人間がこの世界に呼んだんだ。姉ちゃんはここ最近の中では一番意志力が強いけど、その人はものすごかった。確かに一人だけではなかったけど、それでも今まで残ってるじゃないか」
「月は人間の意識の集合体…」
「遥か昔、この大地ができた頃には月は無かったんだよ。人間達が作ったんだ」
「意志の力、か…」
　人間の力は未知数である。現在、かなりの事がわかっているのだが、それでも半分に満たないと言う。シリアはこの力に初めから惹かれていた。
「聞くけど、あなたこれを書いた人を知ってるのよね」
「うん。だてに五千年、生きてないもの」
「生きていると言っていいのかしら…じゃ、じゃあここに書かれている事、わかるでしょ？」
　期待を込めて写本を見せたシリアに、ジェイはあっけらかんと答えた。
「しらない」
　期待が大きかっただけにシリアの落胆は激しい。
「そんな昔の文字、忘れたよ。姉ちゃんが解読するんだろ？だいたい僕は人間とコミュニケーションを取る時に、文字を媒体としてつかえなかったんだから」
「役立たず」
　にこにこ笑いながら言うジェイをシリアは恨めしそうに睨みつけたのだった。
　次の日。新聞の見出しで、シリアは飲み込みかけていた紅茶を盛大に吹き出した。応用物理研究所の事故である。むせ込みながら彼女は記事をよく読む。なんといっても彼女には、この研究所にこんな突拍子の無いことをやりそうな人間に心当たりがあったから。
「ケホっ…こりゃまた派手に…ケホケホっ…やったわねえ…ああー」
　息を整えてつぶやく。
「ふんふん、『今だこの事故の責任者は発表されていない』か。政府お得意のパターンね。ここまでお上にさせるような力をもっていて、かつここに入れる人間は…ああ、あいつか」
　しょうがないなあと言いながら、荷物をまとめる。そしてシリアはカウチで眠っていたジェイを揺さぶり、ただ一言、帰る、と告げてチェックアウトのために部屋から出て行った。