五
　カルサートは酒場で突っ伏していた。つい先ほどまで二日前の事故について散々上司にしぼられ、政府関係の人間からいやみったらしく言われていたのだ、無理からぬことである。政府側からしてみれば、ここで彼に恩を売っておきたかったのだろう。彼は軍部からの要請で、新型兵器、その中でも主に、中枢となる爆弾の開発にかかわっていた。恩を売っておけば、今後政府にとって有利に彼と交渉を進められる。その事がわかっていただけに、彼にとって今回の失態は痛いものになった。
　浴びるほど飲んでめちゃくちゃに酔ってやろうとしたが、体がほんの少量でうけつけなくなりその場から動けなくなってしまった。情けなく思うが仕方がない。彼は自分が酒に弱い事を知っていたのだ。それで、カウンターに座り、マスターと世間話をしながら突っ伏していた。そんなときだった。彼の背中に声がかかったのは。
「あんた何考えてるのよ。飲めもしないくせにこんなところにいて。幸いほかにお客さんがいないし、マスターはプロだからあんまり迷惑してるような顔をしてないけど。だいたいこの酒場は私の行きつけなの。誰にことわってここにいるのよ？」
「……シリア…？帰って来たのか」
　振り返った彼は突然怒り出した。
「なんだよ、人が酔いつぶれて気分が悪いっていうのに、そんなにポンポン文句言いやがって…お前の行きつけだからって俺が来ていけないという理屈があるのか！？」
「まあまあ、私にとったら、お客さんにはかわりないんだから。で、シリアさん、いつものでいいかい？」
　マスターに言われてシリアはうなずく。そしてカルサートの隣に腰掛けた。マスターはシリアのためにウイスキーボトルと水、氷を持ってきて奥の部屋に消えた。カルサートはそれを見届けると、彼女に言った。
「お前いつもそんなに強いもん飲んでるのか？俺なんかとてもとても」
　しかし彼女は彼の問いに答えずこう言った。
「犯人はあんたでしょ？」
　カルサートは何も言わない。それが彼女に、自分の言葉が正しい事を理解させた。長い沈黙の後、彼は重くなった口をやっと開く。シリアはストレートでグラスの中のウイスキーを飲み干した。
「お前、やっぱりすごいや。トミーやヴィンダース先輩にはわからなかったけど、見ぬかれちまったな」
「そんなもの、あんたの人となりを理解してて、内情も知ってる人だったら誰でもわかるわよ。トミーや先輩だってきっとわかってるはずよ。でも彼らは優しいから何も聞かなかっただけ。私は優しくないからこうやってつっこんでるの」
「……その、一つ言ったら百倍ぐらいにして返してくるの、どうにかなんないか？」
「ならない」
　彼はため息をつくと、再び黙り込む。口を開いたのはシリアだった。
「何が原因？…ま、どうせエンケフィ女史の件でしょうけど」
　彼の目をじっと見つめる。カルサートは耐えきれずに目をそらした。
「…わざとじゃないんだ」
「当たり前よ。わざとだったりしたら、いくら政府の息のかかってるあんただって、厳重注意だけじゃ済まなかったでしょうよ。わざとなら今ごろお泊りしてるかもね」
「…お前、俺になんか恨みでもあるのか…？」
「いんにゃ、言ってみただけ」
「とにかく、わざとじゃなかったんだ。やらなくちゃいけない実験をやってて、考え事をしているうちにどうも調合を間違えたらしくてな…いっとくが、それさえなかったら簡易実験室で十分足りる実験だったんだぞ。まさか、固有振動数が一致しちまうとは夢にも思わなかったよ」
　シリアの視線を感じながら彼は独白を続ける。
「ミス・エンケフィは…とても厳しい人だった。今までのどんな上司より厳しかった。でも俺には優しくしてくれた。だから俺、その気になってたんだ…でもきっぱり断られた。好きな人が…」
「いるからごめんなさい、ね」
　うなずく彼。シリアはまた一口ウイスキーを飲んだ。
「…あんた、何考えてるの？仮にも博士号を持っているんでしょ？科学者なんでしょ？調合時にはどれだけ注意してもし足りないぐらいだってこと知ってるんなら、しっかりしなさい」
「お…お前に何がわかるっていうんだ！そのとき俺がどんな気持ちだったか、わかるって言うのか？」
　シリアは立ち上がり、水の入ったポットをカルサートの頭の上でさかさまにした。彼を含めたそのあたりが、たちまち水浸しになる。目をしばたたかせている彼に彼女はたたみかけた。
「なにがわかるんだ、だぁ？何もわからないわよ。何も言おうとしないんだから。だいたいふられたから仕事に支障をきたすなんて、甘ったれるのもいいかげんにしなさい！」
　カルサートは言い返そうと思ったが、ふと彼女は家族を亡くしても仕事でミスはしていない事を思い出した。
「失恋ごときでへなへなになるぐらいなら、仕事なんてしない方がましよ！！仕事に対する責任感が無いわ。少しは頭を冷やしなさい」
　言うだけ言って、酒瓶をつかみ、一気にあおると金を置いて出て行った。水を滴らせながらカルサートは彼女の後を追うために立ちあがる。
「シリア…お前は強いよ。だけど、人間みんなが強いわけじゃないんだ」
　マスターにぬらした事を謝るとこう答えが返って来た。
「まだいつもよりはましな方ですよ。シリアさんはここに来る時、いつも嫌な事があるらしくて荒れているんです。別に酒に弱いという方ではなくて、むしろとても強い方なんですが、このあいだはカウンターが割れましたからね。でもシリアさん、必ず多くお金を払っていってくれるので、それで当てているんです。それにいいお得意さまで、お友達をたくさん紹介してくれるんですよ」
　ニコニコと笑うマスターに苦笑いを返してシリアの置いていった金を見る。確かにウイスキーボトル一本にしては多すぎる金だった。

　カルサートは一度シリアにどうしてそこまでお金が出てくるのかを聞きたいと思いながら、彼女を探していた。
「確か、研究室の経理課を壊して、給料が減らされたって聞いたからなあ…謎だ」
　酒場のそばに流れている小川のほとりに見なれた後ろ姿を見つけると、彼はそこに近寄っていった。疑問を聞いてみると家族の保険金だという。無計画だなあとつぶやいたらきっちり聞かれていて張り倒された。
「…いてーなー」
　彼女は何も言わず川面を見つめている。なおも彼は文句を言おうとすると、その手に小さいヤカンが握られているのを見てやめた。シリアはなおも水面を見ている。
　どれくらい時間がたっただろうか。シリアが突然しゃべり出した。
「歴史って、川の流れのようなものなの」
　意図が把握できずにカルサートは怪訝な顔をした。かまわず彼女は続ける。
「同じもの、同じ流れを繰り返しているようで、そのくせ実は何一つ同じものなんてない。大小の違いあれども変化が生じる。『必ず』なんてものは、存在しない。……厄介で、面倒で、どうでもいいような仕事だけど、自分が大好きな事だから私は今の仕事に就けて満足よ。誇りに思っている。決して目立たない誰も知らない、お金にもならない仕事だけど。あんたの仕事は私と違うけど、結局は似たようなものでしょう。で、好きだからこの仕事についているんでしょう？それならもっと愛着を感じて、責任を持って仕事、しなさいよ」
「してるよ！でも、人間誰だって間違いを犯す事はあるさ。確かにお前は家族を失ったときでもミスはしなかったよ。でもな、誰も彼もがお前みたいに強いわけじゃないんだ」
「私はね、何が許せないって、自分の心理的な要因でミスをした事が許せない。うっかり間違う事はあるわよ。……たかが振られたことぐらいで」
　ぼそりと付け加えられた一言は、彼に激しい怒りを呼び起こさせた。
「おまえにはわかんねぇのか？俺はつらいんだよ。苦しいんだよ。慰めてくれると思いきや…お前にそこまで言われる筋合いはないんだ！」
　シリアも負けずと言い返す。
「なら、なんで無理にでも奪ってしまわなかったの！？確かにそんな事をしたら消えてしまうかもしれない。でも変化を恐れていたら、何もできやしないわ」
　ゆらりと立ちあがりながら彼女は言う。酔いのせいであろう、ほほが少し赤い。
「あんた、まだ頭冷えてないね」
　言うとあっという間もなくカルサートの襟をつかむと水に突っ込んだ。
「！！」
　もがくカルサート。力をこめるシリア。しばらくもみあううちにバランスが崩れ、彼らは川に転がり込む。
「………」
「……」
　浅いので川底に座り込むと胸元までしか水がない。二人して顔を見合わせる。頭から水を滴らせている二人。やがてどちらからともなく笑い始めた。酒場から漏れてくる笑い声と同調して、ただひたすらに笑いつづける。
「シリア、お前、酔ってるだろう。そりゃあーんな飲み方すれば、あったりまえだろな〜」
「あんた、だって、ただのうっすーい水割りだけで、めちゃくちゃに酔ってるじゃない」
　息も絶え絶えになりながら彼らは互いがどれだけ酔っているのかを言い合う。通行人から見れば二人ともただのはた迷惑な酔っ払いなのだが、彼らはそんな目など気にせずに笑いつづけた。
　笑いつづけるうち、カルサートは下手に慰められるよりはこの方が何倍もましだと思った。彼の心の中では、もう一度だけ当たってみて、万に一の可能性に賭けてみる、という決心が固まりつつあったから。そしてその決心を固めるきっかけは、シリアが作ってくれたのだから。　
　小1時間ほど笑い続けただろうか。シリアが突然笑いを止め水の中に倒れた。

　目を開けると見知らぬ部屋だった。これといった調度品もない、殺風景な部屋である。カーテンまで殺風景だった。
「…？」
　起きあがると彼女の服は脱がされており、頭から湿ったタオルが落ちてきた。
「頭がぼぉっとする…」
　どうやら熱があるようだった。川に落ちたときぬれた髪がまだぬれており、ぴったりと皮膚にくっつく。やっと時計を探して見ると、酒場を出てからまだ二時間半ぐらいしか経っていなかった。真夜中である。ぼんやりする頭で、なんとか辺りを見まわそうとするが、めまいに襲われてそれはかなわなかった。
　再び彼女はベッドに横になり、そして朝。
「……」
　熱でぼんやりしたままの頭で周りを見まわすが、やはり彼女には覚えのない部屋だった。ここはどこなのか、夕べからの記憶をたどる。が、酒場を出た事は覚えているがそこから先はうろ覚えだ。
「確か…川に落ちて…」
　考えていると、扉が開いた。
「おはようシリア。でもまだ寝てたほうがいい…」
　いいながら入ってきたカルサートは、シリアの胸元に目がいく。彼女はその視線を追うと、自分が何も着ていないことを思い出した。あわててシーツを引き上げながら、
「見たわね！脱がしたわね！触ったわね！！……まさか、まさか私が寝てる間に…」
　後は言葉にもならず手当たり次第に物を投げるシリア。カルサートはそれらのものをよけながら必死で弁解する。が。
「バカ、落ち着け、そんなことするわけないだろっ！脱がしたのは…そう、脱がしたのはクロットフィーナさんだ。今はいないけど、昨夜来てもらったんだ」
「う、うるさい、だまれ！」
「それに俺は寝てるやつなんか相手にする気はないぞ。大体お前の貧弱な胸なんか見たって…」
　最後の一言が余計だった。まとめて飛んできたものに見事命中した彼は，とりあえず静かになった。
「痛いなあ。お前、実は元気だろ？きっと体温を自由に操れるんだ、そうに違いない！」
「……私をなんだと思ってんの……」
「未知の生命体」
「……」
　あまりにもバカらしくて相手にする気も起きなくなるシリア。心なしか頭痛がひどくなったような気がした。
「いや、冗談は置いておいて……実際の話、病人なら普通おとなしくしてるぞ」
「あんたが余計な事を言うからよ。失礼な。せめてノックぐらいしてよ」
「それでも看病してくれた人間に向かってそれはないだろうに…」　
　つぶやくカルサートを見ながら、シリアの頭はようやくはっきりしてきた。川の中で倒れて、カルサートがそのままほっとくわけにもいかないから自分の部屋へつれてきたのだろう。ふと気がつくと、彼はシリアの方を見ていた。
「お前、疲れてるだろ？そんなに眼の下にクマまで作って…その上に川に落ちたから熱が出たんだ」　
　そこまで言うと彼は迷いを見せたが、結局言った。
「いつまで居てもいいから、少し休んで行け。な？別に急ぐ仕事があるってわけじゃないんだろ？」
「そういう訳にもいかない。急ぐ仕事があるのよ」
「え…でも例の仕事だけだろ？」
「それよ。このあいた室長に怒られたからね。いいかげんにしないと、降ろされちゃう」
「そう言われたのか？」
「いや、はっきりとは。でも室長、私の事が嫌いだからね。ひきずりおろす機会をうかがってるのよ。でも降ろされたっていいの。なんせヘッドハンティングされたもんね」
「どこに？お前みたいなやつを引き抜くやつがいるんだ」
「……トミーよ。こないだ地室来ないかって誘われた」
　いたずらっぽく彼女は続けて言う。
「それはいいんだけど、何より変なうわさが立つといけないからねぇ。あなただって困るでしょ？…………ゆうべはありがと。そして、ごめん。変な事言いすぎたね」
　後半は口調が変わった。直接顔が見れないとばかりにシーツを頭からかぶって彼に背を向ける。
「別に、気にしてないよ。それにお前のおかげで決心がついた」
「なんの？」
「もう一度あたってみる。もしかしたら気が変わってくれるかもしれないからな。俺の中で整理がつくまでやり直してみるさ」
「そうこないと。もしも悪い結果になっても、物研をふっ飛ばさないように」
「ああ、今、物研は無いからな。今度は地室あたり…いや、やめておくよ」
　シリアの体から漂う妖気に気がついてカルサートはこれ以上言うのをやめた。彼女は舌打ちをすると、手に持っていた大き目のヤカンをどこへともなくしまい込んだ。彼には、ヤカンがどこから来てどこに行ったのか恐ろしくて聞けない。
「ところで私の服は？」
「今洗濯中。どうするんだ？」
「あんたの服でも借りて帰る。服は明日取りに来るから…」
「おいおい、今は帰れるような状態じゃないぞ。まだ熱、下がってないし・・」
「いいから！さあ出て行って。女の子の着替えを見るもんじゃないわ」
　再びヤカンが出てきた。
「なあ…前から聞きたかったんだが、どうしてヤカンが…」
「女には秘密が多いのよ」
「…(お前には、の間違いじゃないのか？)」

　カルサートが出て行った後彼女は彼から借りた服を着る。ふとその手が止まった。強烈なめまいが彼女を襲い、そしてその場に倒れこんだ。
　いつまでたってもシリアが部屋から出てこないので、カルサートは危険を承知で部屋に入った。最初に飛び込んできたのは、意識不明の状態で倒れているシリアの姿…