inn7

　ケヴィンの手元で筒が魔力の負荷に耐えられず爆発するのと同時にキマイラの巨体が倒れる。その下から、自分の剣をつかみながらルーシェが這い出してきた。彼が安全なところに移動していくのを確認してカウンティアは封印、いや浄化のための気を集め始める。
「邪悪なるものキマイラよ。おまえは二百年もの長き封印の間であっても、己がした事をくいはしなかったのだな。その血にまみれた魂を今すぐここから浄化してやろう…」
　彼女の背中から幻影の翼が生える。
「わが主オーディンの名の下に、滅せよ！」
　彼女はオーディンのもつグングニルの槍に似せた槍を創りだし、キマイラに向けて打ち出す。キマイラに近づくにつれ穂先は幾重にもわかれ、ありとあらゆる方向からキマイラの体を刺し貫いた。断末魔の声もあげずキマイラは光の塵となって消えていった。
「二百年前はまだ駆け出しだったから、おまえを浄化することはできなかったけど。私はあれから少しはましになったわ。……今度生を受けるときにはもっとましになりなさい」
　独白を続けるカウンティアの横でルーシェがケヴィンに助け起こされている。
「おい、カウン…ティア」
「なによいきなり改まって」
「前言撤回だ。おまえは…あなたは立派な神さ…」
　ルーシェがなにか言いかけたとき辺りに地響きのようなくぐもった音が聞こえてくる。
「なんだぁ！？」
「あ…そっか」
「なんだよ」
　いやな予感を胸にケヴィンが聞く。
「いやここはキマイラの魔力でできた空間だったから」
「その魔力の源をおまえさんが封印しちまったからここは崩れるかなんかしちまう…？」
「うん」
　三人は顔を見合わせた。音はどんどん近づいてくる。
「で、そのとき俺たちはどうなるんだ？」
「私は大丈夫だけど、あなたたちはいっしょに消えちゃう」
　たっぷり一秒ほど固まった後兄弟はわめき出した。
「ば、バカ野郎！！俺たち死んじまうのか？」
「大丈夫よ、もしそうなったら私が魂をヴァルハラに連れていってあげるから」
「そんなとこに行きたくない！」
「おまえのこと見直そうとしたが、やめだやめぇぇぇ！」
　慌てふためくが来た道はほとんど消滅している。もうだめだと覚悟したとき、彼らは七色の光に包まれた。気がつくと宿の外だ。夜は明けているが辺りに人通りはない。何が起こったのか理解できないまま兄弟は、とにかく助かったことを喜んだ。
「？カウンティアは？」
「あそこみたいだけど…誰かと一緒だ」
　カウンティアは女性にこっぴどくしかられていた。
「まったく…あなたって人は。オーディン様が見ていらっしゃらなかったら、みすみすあの勇敢な戦士たちを死なせてしまうところだったのよ」
「ごめんなさい…ラーティナス姉様」
　その言葉を聞くとルーシェは傷の痛みをものともせず彼女たちのそばにかけよる。遅れてケヴィンも傍にいった。
「ラーティナス？ラティナ！ラティナだろ？」
　言われた女性は優美な身のこなしで彼のほうに振り向くと艶然と微笑んだ。
「どうもすみません。この子はまだおっちょこちょいなところがあるの。それで多くの迷惑をかけたみたいで…オーディン様にかわってお礼とお詫びを申し上げます……どうかなさいましたか？私の顔がどうかしたのですか？」
「ラティナじゃ、ない？」
「私はラーティナス･ワルキューレ。オーディン様の配下、ワルキューレたちの筆頭です」
「……でも、にている」
「似ているなんてもんじゃないよ、その人だよ」
「すいません、私はまだ別の用事があるんです。…あなたの武器が壊れてしまいましたね。後でこの子に届けさせます。それでは」
　いうなり彼女の姿は空高く舞い上がった。それをぼんやりとした様子で見送るケヴィン。ルーシェはカウンティアに詰め寄る。
「おい、カウン！おまえ、なんかいろいろとごちゃごちゃ言ってたのはこの事なんだな」
　沈黙は正しさを語る。その重い口を開いたとき、カウンティアの瞳から涙がこぼれた。
「いつだったかオーディン様が私たちに向かって、下界を見てこいとおっしゃったわ。ラーティナス姉様は、そのとき何かの衝撃を受けて自分がワルキューレの一員である事を忘れてしまった。そんなときにあなたと出会い、恋に落ち、愛し合い…。幸せそうだった。でも、自分の事を忘れてしまった姉様に、オーディン様がお怒りになった。そしてその怒りは炎となりあなたたちの家を焼き尽くす…その折、姉様は自分の事を思い出す替わりにあなたの事を記憶から抹殺した。いや、されたといったほうがいいかしら。そしてあの人は天界に戻ったのよ」
「それで、還魂の法を使っても無駄だといったんだな。そりゃ確かにそうだ。死んでなどいないのだから…」
　結局バカなのは俺か、自虐的に笑うルーシェ。なにも言わずにカウンティアとケヴィンは彼を見る。朝日がやたらとまぶしく、うっとおしかった。
　何かを思い出したようにルーシェが顔を上げる。
「…なあカウン…天界に…ヴァルハラに行けば、ラティナのそばにいられるかな？」
「！！」
「兄さん！」
「なあ、どうなんだ？」
　顔をしかめるケヴィン。カウンティアはこの男の中に育った、ラーティナスへの愛の強さを感じた。
「それは…あなたが自ら死を願う事。そういった人間は…自分で自らの命を絶った人間は天界に連れて行けない」
「そうか…でも、俺、ラティナに会いたいよ。忘れられてもいい、もう一度話がしたいよ…」
　カウンティアは彼の気持ちが痛いほどわかった。それでも自殺をする事は最大の禁忌である。ラティナの事を忘れなさい、言う事は簡単だ。しかし、忘却の魔術は効かない。この思いを消してしまうと、ルーシェが廃人になる可能性があるのだ。
「ラーティナス姉様…私はどうすればいいんだろう…」
　誰もなにも言えなかった。と、
「姉様が呼んでる…」
　カウンティアは音もなく天に舞い上がり、十分後にはケヴィンが持っていたものよりは小振りだが、彼の武器と同じ形をしたものを手にしていた。
「これ…オーディン様から…絶対に壊れないから」
「これは？魔力をためるところが複数あるけど」
「ああ…反対属性、例えば火属性と水属性なんかの組み合わせ以外の魔力をここに込めて、同時に打ち出す事ができるの。さっきの戦い振りをオーディン様が見ていて、異なる魔力の相互干渉による効果をお知りになった。そして御造りになったのがこの武器よ。ここ人間界で手に入らないのは聖属性だけだけど、必要だったらこれを振って」
　それは小さなベル。軽く振ってみると透き通った音がする。
　チリーン、チリーン。
　ルーシェはその音を聞くとむしょうに寂しさを感じた。
「私を呼びながらこのベルを鳴らして。そうしたら魔力を届けに『姉様』がいくから」
「！」
　うなだれていたルーシェが顔を上げる。カウンティアはいたずらっぽく片目をつぶるとうなずいた。
「だいたい非常事態でもない限り、神が勝手に人に魔力を与える事は許されていない。例外的にオーディン様とか、フレイ様とか、私たちの姉様とかに許されている。…でこれは、私たちワルキューレを呼ぶときの合図のようなもの……」
「よくわかった。おまえたちの姉様、だな」
　にやりと笑うルーシェ。
「そう。この件はそもそも姉様から言われてきたし。そしてルーシェ、もしもあなたが倒れるような事があれば、私が責任をもってヴァルハラに連れて行く。でも、死にたいと思って倒れたのではダメ」
「ちゃんと精一杯生きて死んだらいいってことかな、兄さん」
　満足げにうなずくとカウンティアは別れを言わずに空高く消えた。兄弟は宿の中に入り、夕べ眠れなかった分を取り戻した。

　それから、魔力の相互干渉が大きすぎてケヴィンが大怪我をしそうになったとか、逆に反対属性を入れてしまって何にも起こらず危ない目にあいそうになったとか、ラーティナスにくっついてきたカウンティア以下物見高いワルキューレたちが大騒ぎしたとか、ルーシェが酔った勢いでラーティナスに抱きつこうとして、間違えてカウンティアに抱きついて黒こげにされそうになったとか…。さまざまなエピソードが生まれたがここでは語るまい。神と人と、ふつうなら相容れない存在が一時を過ごした事は変わりはない。
　そして彼らはその魂が人間としての役目を終えたのち、勇ましい戦乙女の傍らで大剣を操り魔法を行使する事だろう……。