| 七 「じゃあなんだ、この惨劇は全部お前のせいだって言うのか？」 「…そういう事に、なる…のかな」 判明した事をカルサートに告げると彼はため息混じりに言った。 「ついにお前は大量殺人犯、ってことか…いやあいつかはやると思ってたが」 言ったとたんにわっと泣き出した。 「冗談だよ冗談」 「あんたの、冗談は、ヒック、冗談に聞こえないん…ウエエエエエェェ」 それだけ言うとまた泣きつづける。 「…別にお前が悪いわけじゃないんだ。そうだよ、月の魔物のせいだよ…お前が殺したんじゃないって…頼むよ、泣き止んでくれよ。……参ったなぁ、お前が泣いたところなんかはじめてみたから、俺、どうしていいか…」 四苦八苦して彼女の涙を止めようとしたが、いったん堰を切った涙はそう簡単に止まるものではない。もう二度と家族に会うことはできない、その事をシリアは身に染みて感じていた。やがてカルサートは黙り、ひたすら彼女が泣き止むのを待った。静かな、とても静かな光景であった。 「ごめんね…見苦しかったね…」 落ち着きを取り戻した彼女はカルサートに謝った。 「……たまにはいいさ。泣く事は大事だ。…俺の方こそ悪かった。言うべきじゃなかったな」 「いいよ、事実だから。……でもなんで満月なんだろう？」 彼女はずっと考えていた。なぜ月の魔物は満月の夜にしか現れないのか。なぜ月にまつわる事は満月の夜にしか起こらないのか。不意にカルサートの頭の中に『三日月』という単語が浮かんだ。三日月は不完全、満月は完全…そう考えた時、彼はある一つの考えに至った。 「なあシリア、満月は完全で、魔物は不完全で…だから三日月が昇らない完全な夜…」 「ちょっとまった、ちゃんと整理してから話してちょうだい」 「お前が言った通りだとすると、魔物っていうのは心の一部で、不完全なものってことなんだろ？」 「そうなるね」 「ここで三日月を不完全なものとしてとらえると、三日月と魔物はおんなじものになるんじゃないか？だから魔物が持ってる武器は『三日月』のように鋭い鎌なんじゃないかな？」 しばらく彼の顔を見ていたシリアだが、やがて口を開く。 「月は人の心を映していて、満月の夜だけは魔物＝三日月は空に昇らないから大地に降り立つ…」 「そうそう」 「……もう嫌になるわ…どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう。確かにそんな考え方もできる、か…帰ったらその仮定の元で調べてみるのも、いいかもしれない。ありがとう。やっと指針ができた」 立ちあがるシリアの目は潤んでいた。けっしてさっきまでの慟哭のせいだけではないことがわかる。 「シリア…お前泣いて…」 何かを言いかけたカルサートを制し、きっぱりと言った。 「さあ用事は終わった。かえろ」 家を出る時、シリアは後ろを振り返った。いろいろな想いが彼女を通り過ぎて行く。しかしそれも一瞬の事で、後はもう振り返らずに出ていった。 おりしもその晩は満月だった。シリアは夢を見た。彼女の心が夢と判断しただけであって、今となっては本当にあったことなのかシリア自身にも説明できない。そこは虹の中の閉じ込められたようなふわふわした空間。片時たりとも一つの色で安定しない。そこに彼女は立っていた。 「やっとわかったんだ」 声のする方へ向くと、三日月のような鋭い鎌を構えたシリアが立っている。ただし目は毒々しいほどの赤。シリア自身の、深い蒼色とは対照的だった。 「月の…魔物と呼んでいいの…？」 「そうだね。あなた達はそう呼ぶのがわかりやすいだろう。別のところでは、マスター・オブ・ルナーとも呼ばれているけどね」 「聞いた事あるよ、その呼び方も」 奇妙な沈黙が続く。最初に声を発したのはシリアだった。 「……なぜ………あんな事をしたの……？」 それ以上言葉は続かない。それでも魔物には伝わったようだ。 「なぜ？なぜって、あなたが望んだから。すべてを断ち切って、遠くへ行きたいと」 「嘘っ！」 「嘘なんかじゃないよ。ごまかす事などできやしない。月は知っている。月は見ていた。誰も知らない、あなたの弱い面を、私は見ていたの。あなたの心の叫びを月はいつもいつも聞いていた……」 シリアは自分のことを思う。確かに、誰もいない月の下、彼女は弱気になったことがある。そしてファーロンの思い出。 「確かにつらかった事もあったよ。それは認める。でも、楽しいことだってあった…」 「人間の心のは、楽しい思い出よりのつらい思い出の方が心に残りやすい。負の感情の方が強いの。特に、あなたの負の感情は、私に干渉してくるほど強かった。ここ二十年間、そんな人はいなかったんだけど…そんな人間達のおかげで私の瞳は紅くなる。悔しさの涙で。憎悪の炎で…」 淡々と続ける魔物。その表情からはなんの感情も読めない。 「聞いていい？」 「…？」 「どうしてあなたは存在するの？」 「……わからない。なぜならそれは、私も答えを探しているから。いつからこの姿でいるのか、いつまでこの姿でいられるのかすらもわからない…私は、人間達が忌み嫌った負の感情でできている。そして、彼らの識域下の望み、『自由になりたい』という願いをかなえるのみ。それだけしかわからない……」 魔物の姿が揺らいだ。泣いているのかもしれない、とシリアは思う。 「あるべき姿といものがあるのだったら、私はそれを知りたい。それに還りたい。はじめてこの地に訪れた人間よ、あなたならそれを教えてくれるのか？」 シリアは魔物に共感を覚えた。 「あなたは気が遠くなるほどの永い刻を独りで過ごしてきたんだね……」 誰も彼女のことをわかろうとしなかった子供時代。彼女の外面だけを受け入れようとする今。何が違うのか。彼女も独りだったのだ。そして恐らくこれからも。 「……」 魔物は微かにうなずいた。 「私はまだ負の感情を捨てきっていないから、こうやってここに来る事ができた。こうしてあなたに出会う事ができた…違う？」 「そのとおり」 魔物の姿はシリアから男性の姿に転じていた。彼女はその姿に見覚えがある。二十年ほど前、シリアと同じく村の生き残りになった人だった。 「お前の分の負の感情は、お前に戻っていったようだ。しかしそれは過酷な事になる。自分が親やそのほかの人たちを殺した、ということを背負って行かなくてはならないのだから」 「かまわない！」 間髪を入れずに彼女は答える。心は正も負もあってはじめて完全な物。完全な心を持たないまま彼女は生きていく勇気は持ち合わせていなかった。 「……そうか…」 男性の姿が薄くなったような気がした。いや、気のせいではない。確かに薄くなっている。 「…？」 「もう…『月の魔物』は現れないだろう…そう信じていい」 「そっか…最後に聞いてもいい？」 「なんだ？」 「私はこれからどうすればいいのかな…？」 次第に薄れていく魔物の姿を見失わないように彼女が聞いた。 「それはお前自身が決める事だよ、シリア＝マッカード。もうお前に枷はない。私が現れたのも、本当はお前が望んだ事だ。自分で選んだ道、これからもしっかりと自分で選び取っていくことだ。……それが、最良のことだ。……ありがとう人間よ。生まれてきてはじめて楽しい時間を過ごした…」 魔物はほとんど見えなくなったその腕をゆっくりと伸ばした。シリアは抗わない。手がシリアの体に触れたときすべての色がなくなり、蒼い光を放つ月だけが残る。その月の少しづつ崩れ、蒼い破片となって彼女の上に降り注いだ。途切れることなく。 Epilogue 「……蒼い、夢…」 夢からさめたシリアは知らず知らずのうちに握っていた手を開く。蒼いかけらがあった。そして、心の底にわだかまる物の存在も感じていた。 「おかえり」 優しくつぶやくと、今日という日をどう生きるか決めるため、彼女は立ちあがった。 「先生、シリア…マッカードさんはどうしたんですか？」 一週間が経っていた。シリアはカルサートやリテ、トミーの前に姿を見せていない。コルグは驚いたような顔をして言った。 「マッカード君は君たちに言っていないんだな。彼女はフィールドワークに出ている。とにかく自分の足で資料集めをするんだと言っていたが…世界中を転々とするらしいから…」 彼にとっては寝耳に水である。 「彼女はフィールドワーク中心主義者だから止めはしなかった。それに申請していた個室が取れたんだ。もうここには来ない。これで君の思うようにできるぞ。まあ、今までみたいにやりすぎは困るが」 言い残してコルグは部屋を出て行く。カルサートはシリアの使っていた椅子に座った。確かにきれいに片付いている。 「あのバカ、俺に一言の断りもなく行ったな…」 別に彼に断る義理はないのだが、なんとなくイライラした気分だった。 「カルサート君、いる？」 「ミス・エンケフィ！どうしてここに…？」 「ああよかった。もっと早く来るはずだったんだけどなんだかとっても忙しくて。シリアさんから伝言を預かっているの」 「フィールドワークに出ることですか？それなら聞きましたけど」 「それもあるけれど、あなたの事をよろしくっていわれてるの」 「えっ？」 「今はあなたのそばにいると、嫉妬心で自分がわからなくなるから少し離れてみる。いつかあなたを見返してやるから、覚悟しておきなさい、ってね」 「シリアらしい…俺も負けるものか」 カルサートの答えを聞いてリムラは満足そうに微笑む。 「さ、今日からはシリアさんの代わりにあなたの監視をするわよ。それこそ覚悟しなさい、きっちりしごいてあげるから」 「はいっ！」 シリアはシティからそう遠くない湖のほとりにいた。車のボンネットによりかかり昇ってくる太陽を見つめている。彼女の手の中には蒼い月のかけらがあり、朝日を受けて蒼い影を落とすそれは彼女を元気付けるように輝いた。 「さてと…行くか」 誰に言うともなく言って彼女は朝日を引き連れるように車を走らせた。 END |