八
自分の研究していた対象を思い出したので、シリアはそれにかかりきりだった。少なくとも表面はそう見えた。実際は、彼女はとても悔しかったのだが、それを顔に出すほど子供ではない。自分に任された仕事を、自分が原因で途中で止めてしまうことになったことが悔しかった。
「また戻ってこないかな〜なんてね、そんなこと、ないよな」
　ぼんやりと予言書のことを考えていたシリア、トミーがノックしている事に気がつかなかった。
「おーい、勝手に入ったぞ」
「わ、なに？」
「ほら、こないだ言ってたハイキングの件だよ。俺とカルス、クロットフィーナさんとヴィンダース先輩、それに君んとこのジェイ君…だったか、とにかく彼とで行こうってことになった。場所は、実はまだ決まってないから、シリアに決めてもらおうと」
「カルスって？」
「…カルサート=フェイリアスのことだ。お前がカルスって呼んでたんだぞ。まあいいや、で、どこにする？」
「うーん、私、アセフの丘に行きたい。今ごろは気持ち良いんだ♪」
　うなずくと、トミーはシリアを見つめた。
「でもこの間なんか見つかったんだろ？今は入れないんじゃないのか？」
「大丈夫。アセフの丘って結構大きくてね、丘というより小さな山なの。遺跡があるのはそのごく一部分だけ。そこには入れないだろうけど、私が行きたいのはほかのところ」
　納得したというように彼は笑う。
「車は私が出すわね。アセフの位置を正確に知っているのは、そのメンバーでは私かリテだし、リテは運転できないから」
「お前の運転〜？俺はまだ死にたくないぞ。先輩に頼めよ」
「心配ないって。疲れたら代わってもらうと思うけど、行きなれてるもの、大丈夫」
　肩をすくめるトミーを、シリアは憤慨したように見つめる。が、すぐに笑う。
「ありがとね、トミー。心配してくれて。ハイキング、楽しみだね」
「心配するのは当たり前さ。仲間なんだものな。日にちがに決まったら、また連絡する。研究がんばれよな」
　彼が出て行くと、シリアはいいようのない寂しさを感じていた。なんとなく寂しいといった漠然としたものだったが、それは確かに忍び寄る。その思いを振り払うように、彼女は本に目を落とした。

「びゃあああ！！」
「情けない声を出すな、カルス！」
「そんなこと言ったってトミー、お前、怖くないのかよ」
「……怖いさ」
「兄ちゃんたち、どっちか姉ちゃんと代わってよ〜！！」
　シリアの運転する車は、ハイウェイを疾走していた。バイクで来ているはずのフロストの姿は、遥か昔に消えている。彼女の車には六人も乗れないので、フロストはバイクで来ることにした。リテはもちろんその後ろに乗っている。シリアの車には男三人が乗っていた。シリアは久しぶりに車に乗っている。マナーが悪いわけではないのだ。現にハイウェイにはいる前は、とても落ち着いて運転していた。しかしハイウェイに入って速度制限が無くなったときから、彼女の車は走る凶器と化した。スピードが半端ではない。
「うるさいよ男供！」
　シリアの一喝。しかしそんな事はお構いなしに、彼らは叫びつづける。あまりにもうるさいので、彼女はスピードを落とした。
「まったく情けないわね。これくらいのスピードで」
「そんな程度のもんじゃないだろ、コレは」
「俺が運転するから、シリア、ちょっとどっかに寄ってくれ」
　トミーが言うので仕方なくシリアはサービスエリアに寄った。
「制限速度が無いんだったら、それなりに飛ばすのが礼儀ってもんじゃないの？」
　じろりとトミーを見る。
「違うと思うが…まさかお前がそんなにとばすとは思わなかった。そろそろヴィンダース先輩が追いついてくるだろうから、行こうか」
　再びハイウェイにはいる一行。しばらく行くと、フロストのバイクが後方に見えた。そのまま走りつづけているとやっと目的地に近いところまでやってきた。
「ほんとならもっと早くつくのに」
　シリアのつぶやきは、誰も聞かなかったことにした。それから一時間して一行はやっとアセフの丘につく。
「トミーか？あんまり飛ばすなよ。ハイウェイに入ったとたん、車が見えなくなったものな」
「いや…あの時にはシリ…」
「先輩！リテが待っていますよ！はやくはやく」
　フロストが行ったのを確かめて、シリアはトミーを捕まえて締め技をかける。
「トミー…余計なこと言うと、ひどいよ…」
「もう…ひどいよ…シリア…」
　ちょっとしたことがあったが、シリアの言うとおりこの丘を渡る風は心地よかった。彼女にとって1年ぶりであるこの丘の草たちはとても柔らかい。六人は時間がたつのを忘れ騒いだ。そろそろ日が落ちる頃、シリアは遺跡の方へ行ってみた。現在は立ち入り禁止の札がかかっているが、彼女はここの中をよく知っていた。そしてもう一人知っている人がいる。
「ここは、僕ずっと昔に来た事がある。懐かしい気がするよ」
「ジェイ。そっか。ここに月のかけらがあったってことは君に関係があるってことだね。でも私にはもう関係ないからね、そういう事はリテに言ってね」
　哀しそうな笑顔で言いながら入り口を後にする。もうみんなは車のところに集まっている。
「先輩、ちょっとこのバイク乗らせてくれますか」
「お？君は乗れるのか？」
「ええ。ハイウェイに入って最初のサービスエリアまでですから…」
「うーん。まあいいか。でもそのあいだ、誰が君の後ろに乗るんだ？」
「いや、ジェイは小さいから後部座席に乗せて大丈夫ですよ。ところで誰が運転するんですか？」
「それは俺がするよ」
「じゃあ後ろに男三人か……濃いですけど、がんばってください」
　彼らはそれぞれ移動して出発する。シリアの乗ったバイクはあっという間に見えなくなった。フロストは、ここに来たときトミーが言おうとした事がわかったのだった。そして彼はひそかに祈った。どうか俺のバイク、無事でいますように……

　夜も深くなってきて、彼らはシリアのアパートの入り口に帰ってきていた。(フロストのバイクも無事だった！！)
「良かった・・俺のバイクは無事だった…」
「ほんとに…シリア、先輩のバイクでムチャしないでよ」
「ごめんごめん。でもリテ、あなた恋人ができて、人が変わったわねぇ」
　苦笑しながら彼女は笑う。また、シリアの車の前では男三人が腰をぬかしていた。
「ひ、ひぇぇぇぇ…俺、もうシリアに運転はさせないぞ…」
「………おいカルス、シリアはいつもあんなだったのか？」
「さあ。俺そんなに乗ったわけじゃないけど…あ、でも一般道だけだったから…」
「とにかく……しばらく車には乗りたくないね…」
「僕も同感…」
　ぼんやりとしたまま彼らはつぶやく。そんな呟きを聞きながら、シリアは二度とこの男どもと一緒に出かけるまいと誓うのだった。
　しばらく時間がたった。後一日で新しい年度が始まり、シリアは近くの学校に講師として出掛ける事になる。
「あーあ、ついに勤め人か。臨時とは言えめんどくさいな。でもいっとかないと、お金が無くなるから仕方ないってところね」
　今日中にできるだけのことをやっておこうと彼女は出かけた。しかし彼女がアパートの出入り口から出ると、上から声が降ってきた。
「ねえちゃーん！！電話があって、考古学研究室に来いーっ！！ってー！」
「りょーかーい！ありがとー、ジェイ」
　彼女が研究室に着くと、玄関先でリテ、室長、そして彼女の上司であるコルグ=リーアが待っていた。
「あれ…みんなそろってどうしたんですか？」
「あなたを待っていたのよシリア。詳しい事はリーア先生から聞いてちょうだい」
　言われて彼女は上司の方へ目を向けた。
「マッカード君。『予言書』の件なのだが、また君にやってもらう事になった。ことあるごとにクロットフィーナ君から、もとに戻してくれとの要求があったからな。すまないが、また頼まれてくれるか？」
「！願ってもない話です。でも室長の許しを得ないと」
「かまわん。マッカード君、君に任せた。私はもう口は出さん」
「…あ…ありがとうございます」
　コルグと室長がいなくなると、シリアはリテに駆け寄った。
「やったあ、リテ、また仕事がもどって来たあ！」
「良かったわねシリア、でも苦しいから首から手を離してくれる？」
　リテから手を離すと、シリアはその辺りで踊り始めた。
「うれしいよう…でもリテ、あなたはいいの？せっかく任されたのに。とても名誉な事じゃない」
「そのとおりよ。ほんとならはなさないんだろうけど、この仕事、私には荷が重過ぎた。最高の考古学者と言われるあなたの代役を勤められただけでじゅうぶんよ」
「そんないいかたやめて。私、その呼び方をされるのが一番いやなんだ…」
　リテを見つめて彼女は言う。
「リテはリテ。私は私。誰も代役なんか勤められないのよ。あなたはあなたのやり方で解読をした、ってことだけなんだから」
「…あなたがそんな人だから、私はあなたが好きなのね」
　二人でにっこり笑った。

『予言書』は大きく二つの時期に分けられる。五千年前の便宜上超古期と呼ばれている頃から二千五百年前の古期と呼んでいる時期までと、その後に書かれたとされる月の魔物に関する叙述である。現在までに解読したのは魔物の方であり、今彼女は超古期の分野に取りかかっているのだが。
「うおおおおお！こんなもんわかるかああああ！！」
　突然咆哮を上げる彼女に、しかしジェイは落ち着いたものだった。仕事を再開してから一週間、少なくとも一日に五回は発せられるのだ。はじめこそ驚いたが今ではもう慣れきっている。
「ジェイ！どーしてあんた、書かれてることがわかんないのよ！」
「そんなムチャなこと言わないでよ」
「ううう、こうなったらどんな事をしても思い出させてやる」
　妙な殺気を感じたのでシリアのほうを見ずに一目散にドアの影に隠れる。
「こら、にーげーるーなー！」
「にげるよ。だいたい僕を追いまわしたって何もならないって。それに冷静になって周りを見てよ。あっちこっちにヤカンはめり込んでるし、クッションは破れているし…そのうちここに住めなくなっちゃうよ」
「…確かにそうね。…あっ、いけない！講師に行かなきゃ。ジェイ、後は頼んだわ」
「姉ちゃん、ちょっと待ってよ。もっとちゃんと聞いて…」
　なにかを言いたそうだったジェイをほっといてシリアはスクールに出かけて行った。

「先生、確かまだ『予言書』の解読をしているんですよね？」
　教えている学生の一人がこんな質問をしてきた。彼女はまだ三十にもなっていないので、学生達は彼女の弟や妹みたいな感じになってきている。
「そうだけど…それがどうかしたの？」
「いや、別の科の友達がそんな事を言っていたもんで…そいつが、『予言書の解読ってちっとも進んでいないよなあ』って言っていたんですが、本当なんですか？」
　解読は国をあげての関心事になっている。
「…まあ、ね…」
　苦笑いを返してそそくさと立ち去るシリア。そんなに簡単には行かないことをわかってはいても、時間がかかりすぎている事に彼女自身もいらついていた。ついに自分の教え子達にもそんな事を言われるようになったかと思うと、少し哀しくなってきた。
「あーあ。なーんかいやになってきた」
　つぶやきながら帰路についた。なんとなく研究室によってみようと思い、そちらの方へ足を向ける。当たり前の事だがほかにも月に関しての伝承を研究している人はいる。その人達に話を聞きに行こうというのだ。
　彼女の上司であるコルグも、そんななかの一人だった。彼女はたびたびに詰まるとこの人のところへ行っていた。ちなみに、現在の解読の仕事に彼女を推薦してくれたのがこのコルグである。
「リーアせんせ！」
　ノックもそこそこにシリアは彼の部屋に入っていく。
「マッカード君か。どうした？煮詰まったのか？」
「さっすがあ。わかってくれてますね。何か変わった情報、ありますか？」
「なに？おかしいな。昨日の情報なら、解読が一気に進むとおもうのだが」
「昨日の情報？なんですかそれ」
「ちょっと待ってくれ」
　コルグは自分の資料を探していたが、やがて一枚の紙を取り出した。
「これだ。つい昨日の事なのだが、フテラ砂漠の遺跡でこれが見つかった。読んでみなさい」
「フテラ砂漠の…ああ、最近発掘された遺跡ですね…ってこれは！」
「そうだ。これはまだ非公式に私のところにまわされてきたので、あまり公けにはできないがな。君のところにもてっきりいっていると思ったが？」
「私のところには来てませんよ？ま〜た誰かが嫌がらせでもしてるんじゃないですか。それよりもこれ…」
　フテラ砂漠にはいろいろな伝承が残っている。それに遺跡が残っている可能性も、ほかの地域、例えばジャングルや山地に比べて格段に大きい。なぜなら水分がないからだ。水は紙を溶かし、建築物を削る。しかし砂漠には水はない。その上強い太陽光に当たり建造物は堅くなっていく。気をつけなくてはならないのは風。こればかりはどうしようもないのだが、それはほかの地域でも同じ条件である。
　とにかくそのフテラ砂漠で発掘されたものは一枚の石版であった。しかも超古期から古期までの、空白の時間とされていた時代のものである。
「これはまだ新しい時代だ。しかしこれを解読できたらきっと君の予言書の方も先が見えると思う。行ってきてはどうだ？今はフテラの簡易研究室が持っているはずだ」
「もちろん！ありがとうございます、先生！」
　あわてて飛び出して行ったシリアは自分のカバンを彼の個室に忘れて行ってしまった。しかも、コルグが気づいて持って行くまでの三時間彼女は忘れていたのだ。シリアにとって、この石版の発見はそれほど重要な事だった。