| 九 同じ頃の某所。 「あの…ミス･エンケフィ…？ちょっといいですか？」 「あら、カルサート君、なにか用？」 仮研究所のカフェでカルサートはリムラを呼びとめる。 「ええ…まあ」 歯切れの悪い返事を返す。以前きっぱりと断られているのでまともに目をあわす事ができない。そんな様子を見て、リムラは自分の仮研究室について来るよう言った。 部屋について何分かがたつ。どちらも無言のままだったが、カルサートは意を決して言った。 「俺、やっぱりあなたの事が好きです。あなたに好きな人がいるのなら、あなたの心が変わるまで俺、待ちます。…待っていたいと思います。いいですか…？」 ともすれば震えて消えそうになる声を絞り出す。そして、沈黙が絶えられないとばかりに彼は目をそらす。リムラは黙ったままだったが、やがて微笑を浮かべる。 「あなたみたいないい子に好意を持たれるのはとてもうれしいし、大変名誉な事だと思う。私はあなたの事が大好きよ」 「じゃ、じゃあ…」 「話は最後まで聞きなさい。確かにあなたの事は好きだけどほかの後輩や部下達も同じように大好きなの。残酷なようだけど、私はあなたに対して恋愛感情は持っていないのよ」 「…！」 「だから、待ってもらってもあなたの気持ちにはこたえられない。それにね…これは内緒なんだけど、私結婚するのよ」 「え…そんな事…」 「誰にも言ってないから誰も知らないわ。この冬にリーア先生とね」 「…そうなんですか…はっきり言ってくれて、ありがとうございました。これで…すっきりしました……」 そんなはずはない。そんなはずはないのだが、彼女のことを思えば思うほどこう言うしかなかった。リムラはつらい言葉をはっきりと言った。だから彼もその通りにしなければならない。彼は彼女の部屋の扉を閉めると同時に、一筋だけ涙を流したのだった。 それから数時間後。暗く長い廊下に響く足音。一人のものではない。複数の音だった。その行く先には一つの扉があった。その向こうには、少し落ち着いた雰囲気のバーがある。 「ま、それなりに飲め。今晩はお前に付き合ってやるよ。どうせならかわいい女の子の方が良かったがな。付き合うと言っても、俺はシリアほどは強くないから」 「…あんな規格外と比べるなよ…俺は弱い方だから心配すんな」 適当に注文すると、トミーは口を開いた。 「どうした、カルス？」 「………」 「言いたくないなら別にかまわんが…お前から飲みに誘うなんてめったにないことだからなあ」 出てきた水割りを一口飲んでトミーはため息をつく。カルサートは黙ったままだ。 「…エンケフィ女史、か」 「！！なんでわかった？」 トミーはぷっと吹き出すと続ける。 「お前、気がついてなかったのか？お前がエンケフィ女史にほれてるっていうのは、周知の事実だったんだ。俺んとこの先輩たちなんか、どうなるのか賭けてたくらいだから…もっともみんな振られる方にかけてたから、賭けは成立しなかったけどな。それにいっぱい敵も作ってたぞ。『エンケフィ女史に手を出す輩は許さん』とかなんとか。ファンが多かったもんな」 苦虫を一度に百匹ぐらいを噛み潰したような顔のカルサート。やれやれとばかりに言葉を吐き出す。 「お前、そんな事一言も言ってくれなかったな」 「だって面白そうだったからな。それに言ったって、お前が止まるような奴じゃないのはよく知っている」 「……」 カルサートは水割りに口をつける。 「この冬に、結婚するんだってさ」 「ほぉ…あの人の心を射止めたのは誰だ？」 「シリアの上司の、リーア先生だ。以前からよくあの人のところに出入りしていたけど…」 「えっ！あの人が…人は見かけによらないな、ぜんぜん気がつかなかったよ」 「俺だって聞いたとき自分の耳を疑ったさ」 そのとき新しいお客が入ってきた。 「あれ？あなたたちもここにいたの？しかしどうでもいいけど辛気臭いわね。男二人っきりで飲んでるなんて」 「クロットフィーナさん…そういう君は？先輩と一緒じゃないの？」 「実は人のこと言えないんだけどね。ヴィンダース先輩、最近忙しいの」 照れ笑いをするリテ。彼女はフロストからこのバーの事を聞いていた。同じ職場ではたらいているトミーがここを知らないはずはないだろう。彼女はそんな事を思いながら隣のカルサートを見る。彼はつらそうに笑っていた。 「……と言うわけで、今日はトミー君におごってもらう事にする。マスター、この店で一番高いワイン出して」 「ちょ、ちょっと待ってクロットフィーナさん。『というわけで』って、どう言うわけだよ！？それに今俺は給料日前でやばいんだ、ちょっとは手加減してくれよ〜」 「やだ」 さすがにリテは女性なので、カルサートがなんで浮かない顔をしているのかを見ぬいていた。だからこそ彼女はそれには触れなかった。わざと明るくトミーに声をかけたのだった。 カルサートは二人の心遣いがありがたかった。せっかく二人が景気づけをしてくれているのに、いつまでもうじうじなやむまいと誓った。そして、もう少しだけでもいいから強くなりたい、と。 その夜、三人は夜遅くまでのみあかした。 |