sillia10

十
　地質学研究室に続く道を、シリアは轟音を立てて疾走していた。
「トミィィィィー！！」
　扉を開くなり大声で叫ぶ。と、トミーはパソコンに向かって突っ伏している。
「……ううう…シリア、もうちょっと静かに…」
　前日の飲酒できっちり二日酔いになっている。見るからにつらそうだが、シリアにとってそんな事はどうでもいい。
「何やってんのよ」
「昨日…カルスと、クロットフィーナさんとで飲み過ぎて」
「そう。それよりもこの石版の年代を確定してくれないかしら？」
「大丈夫の一言もないのか。……鬼」
「なんかいった！？」
　大声で応じてこられるとトミーに勝ち目はない。わざとらしくにこにこ笑うシリアにおとなしくしたがうことにした。
「こっちだ」
　観察器具から眼を離したトミー。
「これは恐らく四千年から三千年前…だと思う」
「やっぱり。私もそうと思ったんだけど、科学的裏づけがほしかったのよ。この文頭修辞の減り具合から…」
「ストップ。俺はそのあたりわからない」
　次にシリアはある石を渡した。トミーはその石を見ると何も言わなくなる。しばらく観察した後、やっと口を開く。
「これはどこで？」
「アセフの丘で見つかったの。先に立っていた石碑の内側からね」
「二重構造というわけか。でも超音波ぐらいかけたんだろ？前の時の調査で」
「そのはずなんだけど、その時には何も反応は無かったんだってさ」
「ちょっとこれ借りてもいいか？」
「いいけど、二日酔いは？」
「そんな事はどうだって…ううううう」
　どうやらそれまでは忘れていたらしい。そそくさとシリアは帰ろうとした。そこにトミーが声をかける。
「そうだ、お前まだカルサートのことを…」
「あの変態爆弾魔？あいつもどうせ君よりひどい二日酔いで苦しんでるんでしょうね」
「ああそうだろうな。それをわかっているという事は、思い出したんだな」
「まあね」
「そうか、よかった」
「そうかなあ。あんな奴のことなんか忘れていた方が良かったような気もするけど」
「まあそう言うなって。じゃあこれ借りておくよ」
　地質学研究室を出たシリア、今度は自分の研究室に向かって走り出した。
　今まで解読がストップしていたのは、五千年前から二千五百年前にかけての間の文字の入った遺物が発見されていなかったからだ。その間の言語体系がまったくわからなかったので、解読不可能だったのだ。
「後はこの石版を解読すれば…」
　長い間止まっていた予言書の解読がようやく再開する。部屋に入るとさっそく石版とにらめっこを開始するのだった。しかしそううまく行くものではない。すぐに行き詰まって投げ出したくなった。そこにノックの音がする。しつこく続くので仕方なく出た。
「…やあ」
　そこにたっていたのはカルサートである。
「ああ」
　少し考えている様子だったが、
「まだ俺のこと…そうだあの」
「ごめんなさい、後にしてくれない？今行き詰まってものすごーくイライラしているから。へたをするとこのあたり破壊しそうになるかもしれない。とにかく九時にはここから追い出されるからそれまで待っててちょうだいな」
　言うだけ言うと戸を閉めた。後に残されたカルサートは呆然とつぶやく。
「このあいだから俺、こんなぞんざいな扱いしか受けていないような気がする」
　それだけ言うと二日酔いで痛む頭を抱え込むのだった。
　なにかに集中しているとあっという間に時間は過ぎるものである。シリアはその事を悔しく思いながら研究室から出た。普通はもっと遅くまでいられるが、この研究室は予算削減のために午後九時までの利用となっている。彼女はたくさんの資料と共に、移動時間を惜しむように走る。と、カルサートがたっていた。
「あ、あれ。あんたまだいたの？」
　何も言わずにうなずく彼。
「……まあいいわ、十分だけ時間をあげる。なんの用？」
「いや最初はなんの用事もなかったんだが。五時間ぐらい待ってる間に俺のことを思い出させるいい案が浮かんだんだ。一、なぐる、二、蹴飛ばす。そして三番目は二十四時間のあいだ拘束して俺のことを記憶に刷り込む！」
「は…？」
「さあもっとも適当なのはどれでしょ～？制限時間は後三秒！」
「え…え？」
「三・ニ・一、ざんねん！残念賞はおたまじゃくし一年分です、どーぞー！」
「いるか！おたまじゃくしなんかもらっても、うれしくない。だいたいなんで突然クイズになるのよ」
「いやあ、なんとなく」
「だいたいさっきからの私の言動で、あんたの事を思い出しているってことに気がついてちょうだいよ………もちろん、熱で倒れた私の着替えをしたのは、あんただってことも、ネ」
　後半は殺気を帯びている。抱えている本で一番堅く分厚い物をかまえる。
「いやだからあれはクロット…」
「リテは知らないって言ってたわ」
「………」
「…………(にっこり)」
「では！」
「まてっ！！」
　あわててその場から逃げようとするカルサートにシリアは足払いをかける。見事に転んだ彼の背中に容赦無く足を置いた。微笑を張りつかせているシリアに油汗を流しているカルサート。彼は死を覚悟して笑いかけた。
　その日。国家考古学研究室にいた何人かが変な振動を感じたが、それがどうして起こったのかを説明できる人はいなかったという。

「ねえちゃん、おなか減ったよお」
「ごめんごめんジェイ、今作るね」
　家にかえるやいなや、もって帰って来た資料をそのあたりにばら撒き熟読し始めたシリア、ジェイの悲愴な声にやっと応じた。
「…本来のお仕事？」
「そう。やっと再開なんだけど、その前に言語体系を整理しないといけないのよね。これがなかなかの曲者なんだ」
　食事をしながらうれしそうに語る彼女。問題が山積みであればあるほど彼女は燃える。そんなシリアを見ながらジェイもうれしそうに言った。
「うん。僕はそんな姉ちゃんに惹かれたから、この世界に人間として生まれ変わりたいと思ったんだ」
　ニコニコと笑うジェイ。シリアは心の中で、やだ、これって告白じゃないと思いながら、彼に笑いかけた。
「でも姉ちゃん、仕事が進まないからってヤカンを投げるのはやめてね」
「…は～い」
　食事が終わると片付けをジェイに任せて彼女は部屋にこもった。
　多く使われている記号を選び出し、それを現在の言葉に当てはめていくことから解読は始まる。多く使われている言葉はそんなに多くないので、一つ一つ手探りではじめていく。ただどんな方法を使うにしろ、時間がかかることに変わりはない。考古学は根気がある方が勝である。そしてシリアは、根気だけは他人に自慢ができるのだ。
「なんとか…母音の特定は……できた、かな」
　一晩寝ずに解読をしたので、彼女は寝不足の頭痛と戦う羽目になった。が、その顔は満足感でいっぱいだった。
　そんな様子で一週間が過ぎた。そしてやっとフテラの石版を解読したのだった。これは四千三百年前のものと断定された。内容はシリアのやっている事にまったく関係ないものだったが、文法体系がしっかりしてきた事が一番の収穫ではあった。確かに予言書の文法にそのまま当てはまるわけではないが、これで予想がしやすくなったのだ。
「まさかここまで変わっていくとはね…これが見つからなかったら私、解読が終わらなかったかも」
　四千三百年前に語学の大幅な改変があったらしく、その事がこの石盤に書かれていたのだ。
「どうせ戦争か内戦があったんだろうけどね」
「そうよねえ。支配者が変わると、自分の勢いを誇示したいがために国語を変える、なんてことは当たり前だから。こんな昔でも人間のやる事は同じか」
　リテがあきれたようにつぶやいた。
「文句はいいっこなし。これのおかげで私は解読が進むんだから。じゃあ，この表のまとめお願いできる？」
「いやっていったら？」
「そりゃあ仕方ないから自分でやるけどさ。……なんか今忙しいの？」
　リテも優秀な考古学者である。シリアがいなければ自分に解読を任されていただろうという事を知っていた。そんなひがみもあってか、リテはシリアに少し意地悪がしてみたくなっただけだった。
「じょうだんよ。言ってみただけ。任せて、一日でやってあげるわ」
「そんなに気合を入れなくてもいいよ」
「でもすごいね～。あの学者泣かせの予言書が、ようやくあなたの手で解読か。さすがシリア」
「そんな事ない。たまたま運が良かっただけよ」
「過度の謙遜は時としていやみに聞こえるから、気をつけた方がいいよ。あなたはすごい学者だわ。あなたが任されたって聞いたとき、正直言って私が選ばれないでなんであなたが、って思ったのね。でもあなたが記憶喪失になったとき私が代行を頼まれたでしょ？でもぜんぜん歯が立たなかったもの。あなたと私は、格が違うんだって感じた」
「私には私、リテにはリテのやり方がある。前にも似たような事をいわなかったっけ。だから、そんな言い方はやめましょう」
　さみしそうに言うリテにシリアはそうさとした。そして彼女たちはそれぞれの仕事にかかっていった。